* 緑山プロジェクト
HIROYASU TAGUCHI ART WORKS
無味乾燥なようだが、統計によって現在のこの地域(津山市)を概観しておきたい。
位置・面積
面 積 506.36ku
東経(市役所) 134度 0分25秒
北緯(市役所) 35度 3分58秒
海抜(市役所) 99m
人口・労働
世帯数 38,987世帯
人口総数 111,499人
53,158人
58,341人
人口・労働
年齢階級 人  口
総 数 111,499人 100.0%
0−14歳 17,713人 15.9%
15−64歳 69,958人 62.7%
65歳以上 23,822人 21.4%
産業別 就業人口
就業者総数 54,805人 100.0%
第一次産業 4,266人 7.8%
第二次産業 17,995人 32.8%
第三次産業 32,461人 59.2%
産業の状況
農家数、農家人口及び経営耕地面積
総農家数 7,328戸
自給的農家 1,752戸
販売農家 5,576戸
農家人口 30,145人
経営耕地面積 5,169ha
4,598ha
479ha
樹園地 92ha
産業の状況
製造業事業所数、
従業者数及び製造品出荷額等
製造業事業所数 278事業所
従業者数 7,249人
製造品出荷額等 177,690百万円
商店数、従業者数及び年間商品販売額
商店数 1,903店
従業者数 11,592人
年間商品販売額 288,885百万円
 (H12年国勢調査 及び H14年商業統計
 による。)
工業動向の推移
(津山広域事務組合編の資料による)
従業員数        出荷額
20,000
17,892 17.458 17,930
14,730
15,000
10,000
55 60 63 平成
元年
381,770
400,000
340,226
280,224
300,000
200,000
134,316
100,000
55 60 63 平成
元年
事業所数
1,000
925
779
800
727 705
600
400
200
55 60 63 平成
元年
従業員数は漸増から横ばい、事業所数は漸減、出荷額は伸びている。このようなデータから、この地域で緩やかに工業の集約化が進んでいる事が伺える。
手元に資料が無いので断言できないが、労働強化と労働条件の質的低下がこれに伴って進行していることは全国的傾向からみても否定できないと思われる。
中国山地
経済成長期に日本国内で最も人口を減らしたのは、中国・四国・九州の山間部である。これらの地域の特徴はその産業の零細性である。中国山地は、全国平均に較べてあらゆる意味において集約化が進行していない地域であった。農業にせよ林業にせよ小規模で、況して工業らしいものは無かった。中国山地内の農山村の平均的な姿は、1戸1戸が少ない面積の耕作地と僅かの山林を持ち、ほぼ自給自足の生活を送るというものであった。山林に於ける国有地の割合は少なく、細かく再分化されて個人の所有となっていたのである。今日の気楽な視点で言えば、それは環境に負荷の少ない理想的な姿であったと思える。併し人々がその状態の継続を望むことは無かった。経済成長によって都市部との格差は拡がっており、現金収入が少なく可処分所得の産み出せない生活は最早考えられなくなっていたのである。

岡山県では産業の発展した県南臨海部と県北山間部との格差是正は60年代から叫ばれてきた。併しこれと言って効果的な施策が施行されて来た訳ではない。そのような状況のなかで美作地方の中心津山は或る意味善戦してきたとも言える。1951年には私立の短期大学が2校開校、1965年には市民からも募金を集め津山文化センターが完成するなど地域の中心としての役割をある程度果たしてきたと言えるだろう。商業の分野でも、長大なアーケード街が市民の自慢となっていた時期もあった。

1970年代に入り田中内閣は日本列島改造をぶち上げる。これは交通網の整備と工業の再配置を企てたもので、結果として土地価格の騰貴と土建国家の確立、地域への利益誘導型政治の確立、そして政官民の癒着の強化など主に負の遺産を残した物として今日一般的に評価されているのは衆知の通りである。そして中国縦貫自動車道の開通に合わせて沢山の工業団地がこの地域に造成されたのは先に見た通りである。

このような流の中で、津山は魅力と活力ある地域として今日存在しているだろうか。モータリゼーションの発達は同時に公共交通機関の衰退を齎した。今ではこの地域に於いてバスや鉄道は移動の手段としてそれを頼む事の難しい存在となっている。これと共に市街中心部の商店街はその勢いを減じ、郊外型のスーパーやショッピングセンターがそれに取って代わった。今では日本全国どこにでも見られるような特徴の無い景観が拡がっているのみである。
工業団地はグラフで見るようにこの地域に雇用と税の増収を幾分か齎せているのだが、そこに働く人々がはたして豊かな生活を送っていると言えるのだろうか。これら工業団地の従業員の多くは一部社員を除いて契約雇用期間の短い契約社員、人材派遣会社から派遣されるパートタイマー、若しくはアルバイトといわれる就業形態の人々であり、その収入は低く抑えられている。
又、流通の面では産物が一度大都市流通拠点に運ばれ、これがこの地域に再び配送されてくるという形となっている。地産地消等ということが叫ばれだしたのは極最近のことである。

全般的に見て、消費者物価は安くないが賃金は低いという構図となっているのである。これは、まるで日本資本主義の国内に於ける一植民地と言った風情である。

嘗てウィリアム・モリスはアーツ・アンド・クラフトという運動を展開したが、これは単に芸術や工芸に関するものではなく、人間の生き方に関するラジカルな問いを根底に秘めていた。産業革命による生産形態の変化が背景にあったのである。モリスの憂鬱は現代に於いてより深まっているのである。
一部にもせよ、既に工業団地として開発され地域の財政と雇用に一定の役割を果たしている物に対して、緑の逆襲を仕掛け里山の復活を試みるには、現在の姿に変わる新しいこの地域の生存スタイルを提言していかなければならない。それがこのプロジェクトの意図するところである。それは私個人の感傷などと言ったレベルを超えた問題提起なのである。
草加部、綾部工業団地
津山市楢上空より草加部・綾部方向を臨む。
(NASA90mメッシュデータによるDEM・CGに、樹木・構造物等を加筆)
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